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【哲学】同じ人?それとも違う人?スワンプマン問題をどう思う?

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こんばんは。6月に祝日がなくてへこんでる佐伯です。

哲学って面白いですよね。
面白いんですけど、いろんな哲学書を読んでると様々な考えが浮上してきて収集がつかなくなることがあります。
だからこそ面白いんですけどね。

今日はそんな面白い哲学の話からスワンプマン問題という有名な話を取り上げたいと思います。


スワンプマン問題

スワンプマン問題とは?

スワンプマン(Swampman)とは、1987年にアメリカの哲学者ドナルド・デイヴィッドソンが考案した思考実験。「私とは何か」といった同一性やアイデンティティーの問題を考えるのに使われる。スワンプマンとは沼 (Swamp) の男 (man) という意味の英語。
スワンプマン - Wikipedia


実際に起きた事件ではなく、哲学者であるドナルド・デイヴィッドソンが考えた実験です。


思考実験の内容

思考実験の内容は以下の通りです。
ちなみに、正解はないのでみなさんじっくり考えてみてくださいね。

ある男がハイキングに出かける。道中、この男は不運にも沼のそばで、突然 雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちた。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。

この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。スワンプマンは原子レベルで、死ぬ直前の男と全く同一の構造を呈しており、見かけも全く同一である。もちろん脳の状態(落雷によって死んだ男の生前の脳の状態)も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一であるように見える。

沼を後にしたスワンプマンは、死ぬ直前の男の姿でスタスタと街に帰っていく。そして死んだ男がかつて住んでいた部屋のドアを開け、死んだ男の家族に電話をし、死んだ男が読んでいた本の続きを読みふけりながら、眠りにつく。そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。

果たして、落雷で死んだ男とスワンプマンは同じ人と言えるだろうか?はたまた別人と言うべきなのか?


少し文がわかりにくいので要約すると、
人が死んだのと同時に、生み出されたコピー人間(死んだ人のコピー)は死んだ人と同一人物と言えるかどうか?ということです。

スワンプマン問題の観点

この問題を考えたどり着く答えとしては大体以下3つの考え方に収束します。

物理主義の考え

物理主義の考えは、いくらコピー人間であろうとも見た目・記憶・考え方などありとあらゆるものすべて一緒ならば、「死んだ人間と同一人物とみなすという考え方」です。

観念主義の考え

観念主義の考えは、コピー人間は死んだ人間と物理的に全く同一の構造をしているが、人物に宿っている自我そのものは唯一なものなので「死んだ人間と同一人物とみなさないという考え方」です。

歴史主義の考え

歴史主義の考えは、死んだ人間とコピー人間のそれぞれの歩む人生(歴史)は異なっているという観点により「死んだ人間と同一人物とみなさないという考え方」です。
ちなみに、スワンプマン問題を提唱した哲学者ドナルド・デイヴィッドソンはこの歴史主義の立場をとっています。

どの考え方でしたか?

みなさんはどのような考え方でしたか?
ちなみに自分は、観念主義の考え方でした。

このスワンプマン問題は「自分とは一体なんなのか」というアイデンティティを考えるための問題です。
哲学を学ぶ上で、「人とはいったいなんなのか」という一番大事な議題を簡単に考えることができる入門用の問題といってもいいかもしれませんね。
気づくと哲学の奥深い世界に足を踏み入れてるかもしれません。

このような簡単に哲学を考えることができる問題はいっぱいあるのでそのうちまたとりあげたいと思います。


おしまい。